第七回
「 心の平安と漢方薬、音楽療法(安息の時を求めて) 」
漢方医学的見地から考察する
大山博行先生、酒井哲夫先生、中村透先生 三者対談
場所:大山宗伯東洋医学記念館
東洋医学(漢方薬、鍼灸)の歴史資料室
2024.10/27(日)
第七回
「 心の平安と漢方薬、音楽療法(安息の時を求めて) 」
漢方医学的見地から考察する
大山博行先生、酒井哲夫先生、中村透先生 三者対談
場所:大山宗伯東洋医学記念館
東洋医学(漢方薬、鍼灸)の歴史資料室
2024.10/27(日)
第七回
「 心の平安と漢方薬、音楽療法(安息の時を求めて) 」
漢方医学的見地から考察する
大山博行先生、酒井哲夫先生、中村透先生 三者対談
場所:大山宗伯東洋医学記念館
東洋医学(漢方薬、鍼灸)の歴史資料室
2024.10/27(日)
第七回
「 心の平安と漢方薬、音楽療法(安息の時を求めて) 」
漢方医学的見地から考察する
大山博行先生、酒井哲夫先生、中村透先生、三者対談
場所:大山宗伯東洋医学記念館
東洋医学(漢方薬、鍼灸)の歴史資料室
2024.10/27(日)
第七回
「 心の平安と漢方薬、音楽療法(安息の時を求めて) 」
漢方医学的見地から考察する
大山博行先生、酒井哲夫先生、中村透先生、三者対談
場所:大山宗伯東洋医学記念館
東洋医学(漢方薬、鍼灸)の歴史資料室
2024.10/27(日)
「漢方医学」というと「中国の医療」というイメージがありますが、中国医学を源流として日本に伝わり、日本で、独自の進化、発展をして、現代に受け継がれた日本の伝統医学なのです。
現在の中国にある「中医学」と日本の「漢方医学」は、かなり違っており、似て非なるもの、かもしれません。 つまり、漢方医学は、日本固有の伝統医学なのです。
日本の伝統医学、「漢方医学」の特徴を、挙げてみます。
第一の特徴は、オーダーメード の漢方薬を調合する。つまり、生薬を、患者さん、一人一人に合わせて、調合すると、いうことです。
漢方薬は、西洋医学の新薬のように、化学成分を抽出・合成した薬ではなく、自然界の天然の植物などを利用して、生薬を組み合わせて、効果のある薬を考案して、病気を治す、未病を治す、ことにあります。
日本の東洋医学(漢方薬、鍼灸、他)は、「証」という漢方独自の見立て「診断学」に基づいて、患者一人一人の症状、体質に、合わせて、細かく漢方薬を調合する。
この点は、近年になって、注目されてきた、オーダーメードの治療に、例えられるので、まさに、温故知新と言えます。
「心身一如」 、東洋医学は、人間の生活に基づいた医学なので、患者の日常生活レベルの改善、「生活の質(QOL)」を、重要視しています。
これは、東洋医学が、近代的な、検査技術が、存在しない時代に発達した医学なので、原因の追及より、体質改善、症状改善への対処が治療のすべてだったからなのです。
また、東洋医学は、西洋医学のように心と身を分けて考えず、一体として考える、「心身一如」の考え方が基本になっています。
東洋医学の得意な症状、病態、西洋医学に、勝るとも劣らない、東洋医学(漢方薬、鍼灸)の症状や病態は、どのようなものなのでしょうか?
まず、「冷え症」、「虚弱体質の人の体調不良や体力低下」、「老化に伴うさまざまな症状」、「アレルギー関連の病態、症状の改善、根治療法、アレルギー体質改善」などがそれにあたります。
また、「生活習慣病、慢性疾患の症状改善」、「西洋医学、化学薬品(新薬)の副作用軽減」、「現代医学の治療で、完全に治らない、十分に改善しない病態、諸症状の改善、軽減」なども挙げられます。
大学病院、総合病院などでは、医学的診断が確定できない、さまざまな症状を抱える患者さんも、数多くいらっしゃいます。
そこで、まず、実行することは、最新に診断技術、最新の検査などを、重ねて正確な診断を付けることです。
診断が付けば、次に、臓器や疾患ごとに分化している、それぞれの専門分野の各診療科につなげること、つまり「振り分け」をすることです。
しかし実際には、最新の検査、適切と思われる検査をしても診断に至らない症例は、少なからずあります。
中には、もともとの性格傾向や病状への不安の増大も相まって、医学的な説明が難しい病態、症状の患者さん
「MUS(medically unexplained symptpms)」と呼ばれる症状を持った患者さんには、治療に難渋することも多々あるということです。
このような事例には、東洋医学、漢方医学の方法論、見方が、十分に活用でき、漢方薬、鍼灸の適応、効果が十分に発揮できるでしょう。
大山漢方堂薬局、鍼灸院に来れれた患者さんで、
55歳の女性、主症状は、「息切れ」です。
詳しく問診すると、3年前から息切れをしやすくなり、健康診断では脈拍が早くなる「頻脈」と指摘されていました。
食欲はありますが、まず、手が火照り、お口が渇く、足がつりやすく冷える、足裏がしびれる、皮膚がかゆい、などの問題があり、、さらに、就寝中に2回もトイレに通う頻尿もありました。
漢方の診断学に基づいて観察すると、下腹部がふにゃふにゃしている「小腹不仁」という所見がありました。
このような状態を、東洋医学、漢方医学では、「腎虚」という病態と判断します。 これは、現代解剖学の腎臓とは異なる意味の「腎」という臓器が弱る状態。
そこで「腎」の機能を補う、「杞菊地黄丸」を服用、2週間で、「目の疲れ、かすみ目」が軽減、気にならなくなり、
ついで、「知柏地黄丸」を服用、2週間で、「ほてりと口渇」、「息切れ」が、改善、気にならなくなり、
その後、「牛車腎気丸」を、2週間服用で、冷え、しびれ、かゆみが改善、気にならなくなりました。
つまり、この患者さんは、いわば、東洋医学の「腎」というシステムの衰えが、さまざまな症状を引き起こしており、
このシステム全体の衰えを治せば、症状は消え、改善できる、という理論になります。
例えば、この患者さんが、西洋医学の総合病院に行くと、息切れは循環器科、足のつりやしびれは整形外科、
夜間頻尿は泌尿器科、皮膚のかゆみは皮膚科、目の疲れ、眼精疲労は、眼科、ほてり、口渇、冷えは内科というように、
症状が出た臓器や部位ごとに複数の診療科を受診し、検査や投薬が行われることになります。
こうなると、患者さんも負担になりますし、逆に、症状はよくならなかったり、薬の副作用が出たり、ということにもなりかねません。
つまり、必要に応じて、東洋医学、漢方医学の見方、方法論をうまく取り入れると、案外上手に治療できるようになると考えられます。
東洋医学(漢方薬、鍼灸)は、日本が誇る伝統医学であり、実用的な治療学なのです。
また、東洋医学、伝統医学を、現代の医療に、うまく取り入れることが、温故知新、
日本ならではの統合医療の形として国民の健康と幸福に大きく寄与するものと考えられます。
古来からアジア、日本の人々がどのように不調や怪我、病気と向き合ってきたのか
体の仕組みや薬などの知識がなかったはるか昔から現代に至るまでの試行錯誤の中には「健康で幸せに生きたい」という切実な願いがある。
時代ごとの「初の試み」など、熱い志を感じる医療史を、当時の筆跡や図版などから知ることができました。
占いによる診断治療からの脱却
中国の古代王朝・殷(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)では、治療に関することを占いで決めていたことが、亀や牛の骨に刻まれた古代文字からわかる。
その後、少なくとも戦国時代末期(紀元前3世紀頃)には、内科医、外科医といった専門医について記された書物があることから、
この時期には占いによる診断治療からの脱却があったと考えられる。
とはいえ1500年くらいの間は治療を占いに頼っていたと考えると、その時代の人々は病気になることは死ぬこと、つまり長生きする人は運命だった。
経穴(けいけつ) いわゆるツボの発見
中国最古の総合医学書『黄帝内経』が登場するのは後漢(25年~220年)の頃。
この書物には、東洋医学独特の鍼灸や経穴(いわゆるツボ)などの実践的な内容が記されている。
「未病(発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態)を治す」という概念も登場する、
現代の医療に通じる画期的なものでした。
鍼灸治療の教科書で、現存最古の書物は『十四経発揮』です。
元代の医者・滑寿(1304~86)がまとめたもので、
東洋医学で重視される気・血・水の通り道「経絡」と「経穴」が挿図入りで解説されている。
この本は、日本医学中興の祖として知られる曲直瀬道三(1507~94年)も読んだ。
日本では病気は神仏の祟りとされ疫病が流行れば祈祷が行われてきました。
7世紀ると遣隋使、遣唐使により中国から医学知識がもたらされましたが、それ以降も病に対しては加持祈祷が行われていた。
日本でやっと本格的な医療行為が広まったのは、なんと室町時代末期以降。
その本格的な医療行為の端緒となった人物こそが、前出の曲直瀬道三。
『啓迪集』という医書を1574年に天皇に献上しました。
日本初の解剖書
そして、江戸時代に、山脇東洋(1705~62年)が、日本初の解剖書『蔵志』を1754年に刊行しました。
単純化されたものですが、肺や肝臓や腸の形や場所が分かります。
しかしながら、それまでの日本では、臓器や機能を感覚的にとらえていた
そして、『蔵志』発刊の20年後に出版された杉田玄白の『解体新書』。
日本で初めて本格的に翻訳された西洋解剖学書。
訳『解体新書』 1774年(安永3年)刊
図版は西洋画を学んだ秋田藩士の小田野直武が手掛けました。
翻訳語が当時の日本にはない単語だったときは、新たに言葉をつくるなど、工夫を凝らしました。
世界初の全身麻酔による乳がん手術
解剖学の歴史は西洋の方が長かったが、手術の分野で快挙を成し遂げた日本人医師が、
1804年に世界で初めて全身麻酔による乳がんの手術を成功させた華岡青洲(1760年~1835年)です。
実験への協力を申し出た母と妻に麻酔薬を飲ませ、副作用で妻が失明するという事故を経て、麻酔薬「通仙散」を完成させました。
彼の著作『乳岩図説』には、乳房に、大きく黒いシミのように描かれているのが乳がん。
図版のモデルは奥さん。家族一丸となり、麻酔薬を作って人々を救いたいという情熱を感じる。
100年に一度と言われたコロナウィルスのパンデミックを経験した私たちだからこそ、
未知の病魔と戦い克服してきた人類の医学の歴史に心を打たれます。
あくなき医学の探求とその発展に感謝しながら、心身ともに健康に過ごしていきたいものです。