大山宗伯東洋医学記念館 展示品
大山漢方堂薬局 所蔵
明治期のくすり看板
「元祖 太田胃散 東京呉服町 太田信義製」
明治期 薬看板(両面看板)元祖胃散(初代太田胃散)落款入り 太田信義製
元祖 胃散
東京呉服町 太田信義製 落款入り
代理店 石津屋菊地氏 落款入り
元祖 胃散(初代 太田胃散)両面薬看板
元祖 胃散
東京呉服町 太田信義製 落款入り
代理店 石津屋菊地氏 落款入り
解説:太田信義、栃木県壬生町出身
1835年(天保6年)、下野国壬生藩の谷郡大夫君雄の5男として出生
同藩の太田謙次郎に儒学を学び、養子となる。
明治維新後、出版業を始めるも、うまくいかず、
信義は、ストレスで、胃病に苦しんでいた。
信義が大阪へ出張した折診察を受けた、名医緒方洪庵の娘婿緒方拙斉医師の
処方薬の効力が素晴らしく、間もなく長年の胃病は快癒した。
この薬を後に信義が譲り受け売り広める、この薬が有名な「太田胃散」である。
大山宗伯東洋医学記念館 展示品
大山漢方堂薬局 所蔵
明治期のくすり看板
「元祖 胃散(初代太田胃散)」
東京呉服町 太田信義製
初代 太田胃散 薬看板(両面)落款入り
明治12年、初代太田信義(おおたのぶよし)日本橋呉服町11番地にて雪湖堂を創業する。
官許を得、雪湖堂の 元祖「胃散」と称して「太田胃散」を発売する。
明治12年に設立した太田胃散の薬看板(両面)です
初代の太田信義さんの落款があります
古い絵の彫刻があります。
高さ130cm 横幅61cm 厚み5,5cm
解説:初代太田信義、栃木県壬生町出身。
1835年(天保6年)、下野国壬生藩の谷郡大夫君雄の5男として出生
同藩の太田謙次郎に儒学を学び、養子となる。鳥居藩の家臣として槍術御指南番を勤める。
明治維新期に三重県四日市の高等官吏となり、第一回内国勧業博覧会の開設委員として東京に出向した。
この際に、欧米導入で急速に変貌する東京の経済情勢を目の当たりとしたのをきっかけに、
官職を辞して、1878(明治11年)商道を志した。
日本橋呉服町に居を構え出版業をはじめるも事業は上手くいかず、
ストレスにより、慢性の胃腸病に苦しんでいました。
大阪出張時に名医緒方洪庵の娘婿の緒方出斎医師の診察を受けた。
処方薬を服用すると、たちまち胃腸病が快癒した。
この処方薬の効果の素晴らしさに感激し興味を抱き、緒方出斎を通じ、
処方薬の開発者であるオランダ人名医ボードウィン博士を紹介してもらい、
販売を目的に処方を譲り受け、「元祖胃散太田信義製」として官許を得た。
1879年、雪湖堂を創業し、胃腸薬「太田胃散」を発売した。
<世界人名辞典より>
cf.
戦前 回効散 薬看板
(金箔薬看板、日本美人画入り)
大正〜昭和初期
cf.
戦前 回効散
(くわいこうさん)
薬袋(配達用)
歯痛と頭痛にのんできく
本舗東京大阪 森田製薬所
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